バイオリンに夢中な令嬢と、初恋をかなえたい王子
第九話 応接室にて、わがままな王女
応接室に現れた私とアダンを見て、ルイーズは目を丸くした。
「アダン? アドン? なぜ、ここにいるの」
アダンはほほ笑んで、ルイーズの向かいのソファーに腰かける。
「僕はアダンの方さ。先週、城で会ったときに、マデリーンは友人だと教えなかったかい?」
ルイーズは口をとがらせた。
「何よ、またお説教をするつもり?」
「僕は同じことを二度も言わない」
少し冷たい言い方だった。ルイーズは鼻白む。私はアダンの隣に座った。
「ルイーズ王女殿下、私に何のご用でしょうか」
私がたずねると、彼女はアダンの方を気にした。彼がいると話しづらいことを言いたかったのだろう。私はルイーズにあきれ、同席してくれたアダンに感謝した。彼は、ゆったりとほほ笑んでいる。ルイーズは私の方を向いた。
「フィリックスから、あなたは彼の幼なじみと聞いたわ」
彼女は、ぎこちなく笑顔を作っている。
「はい」
「私、フィリックスと結婚したいの。あなたは、私と彼の結婚に協力してちょうだい」
ルイーズは平然と言った。まるで「お菓子が食べたいわ、クグロフでも用意してちょうだい」と命令するように。私は心の中だけで、むっとする。
「申し訳ありませんが、できません」
できるだけ、ていねいに断った。ルイーズは、まゆじりを上げる。それから、奇妙にねじまがった笑みを浮かべた。
「私は王女よ。あなたは私と友だちになりたくないの?」
なりたくありません。……と、素直に返事するのはまずいだろう。私はフィリックスから求婚されています、そしてその求婚を受けるつもりです、と正直に教えるのもまずい。王女に対して、けんかを売っているようなものだ。
角が立たないように、話を切りあげなくてはならない。私が言葉に迷っていると、アダンが怒って話し出した。
「ルイーズ、君はアレクサンドと婚約しているだろう? 彼は、僕の大切な友人でもある。これ以上は、黙って聞いていられない」
私はびっくりした。ルイーズは、ほかの男性と婚約していたのか? 彼女は怒りに顔を赤くして、何かを言おうとした。ところが機先を制して、アダンが私に向かってしゃべった。
「マデリーン。先々週の城でのパーティーを覚えているだろう?」
私はうなずく。ルイーズはフィリックスを歓迎するために、パーティーを開いた。豪華けんらんなパーティーで、国内の貴族令嬢たちも大勢、参加していた。
「ルイーズの言動は、ほめられたものではなかった。君を含め不快な思いをした人は多かった。しかもパーティーにはフィリックスもいた」
ルイーズはいらいらとしながら、話を聞いている。だが、耳が痛いであろう話をさえぎらない。ルイーズとアダンでは、アダンの方が立場が上らしい。彼は、まじめな顔つきで話し続ける。
「小さな不和が、大きな国際問題に発展する可能性もあった。ルイーズはロワール王国の王女で、フィリックスはターヤ王国の王子だからね。またフィリックスがいなくても、ルイーズのふるまいは、国内に不要なトラブルの種をまくようなものだった」
あのパーティーがおおごとにならずに済んだのは、フィリックスがうまく立ち回ったからだ。もし彼が、
「よくも俺の友人であるマデリーンを侮辱したな!」
と激怒したら、大変なことになっていただろう。さらにフィリックスは、「騒がしいスズメ」とルイーズにバカにされた貴族令嬢たちの顔も立てた。よってパーティーは不快なだけで済んだのだ。
「くわえてルイーズは、わが国の友好国であり、君の母上の故郷でもあるセヴァーン王国に対して失礼なことも言った。これも王女として許されない行為だ」
アダンの声は低く、深刻だった。大勢の人が集まるパーティーで、王女が他国に対して侮蔑的な発言をしたのだ。今、ある平和を踏みにじるような行動だった。
「国王陛下と王妃殿下は、事態を重く見た。そしておとといの金曜日に、ルイーズにアレクサンドとの婚約を命じたんだ」
おとといの金曜日と言えば、私がフィリックスを待って、玄関ホールでうろうろしていた日だ。
「私は認めていないわ!」
ついに我慢できなくなったのか、ルイーズがさけんだ。
「私は王女よ。なぜ伯爵家に嫁がなくてはならないの?」
伯爵家の子息と王女ならば、別に不釣り合いではないのでは? と私は思う。アダンは落ちついた様子で、ルイーズをたしなめた。
「アレクサンドは、君にはもったいないくらいの人格者だ。彼以上に君を守ってくれる人はいないだろう。国王陛下と王妃殿下もそう考えたから、君に彼との婚約を命令したんだ」
「あなたは私が落ちぶれてもいいの? 粗末な服を着て、薄いスープをすすってもいいのね」
ルイーズは、悲劇のヒロインのように言う。私は、かちんときた。ルイーズは、伯爵家を何だと思っているのか。
私の父は伯爵だ。ロワール王国のために尽くし、外交官としてターヤ王国に家族とともに五年間も滞在した。父は私には言わないが、当然、さまざまな苦労があっただろう。私は父が大好きだし、誇りにも思っている。
「アレクサンドの家は裕福だよ。彼は、君のプライドや見栄も守ってくれるだろう」
アダンは、ため息をついた。
「でも、しょせんは伯爵家よ。そうだ、あなたはセヴァーン王国の王族に知り合いがいるかしら?」
ルイーズは突然、私に問いかける。私はとまどって、え? と声を上げた。
「セヴァーン王国には美男美女が多いと聞くわ。あなたも、きれいな顔をしているし。セヴァーン王国の王子を、私に紹介してちょうだい」
ルイーズは明るく無邪気に笑う。私は、開いた口がふさがらなかった。パーティーでルイーズは、セヴァーン王国は田舎だ、私の髪の色は派手で下品だとバカにした。にもかかわらず、王子を紹介しろ? 差別はよくないと心を入れ替えたのか?
そもそもルイーズは、フィリックスと結婚したいのではなかったのか。まさか王子なら誰でもいいのか。そして、セヴァーン王国は美男美女が多いなんて初めて聞いた。私が答えられないでいると、アダンが口をはさんだ。
「ルイーズ。やめたまえ」
彼のみけんには、しわが寄っている。
「アダン、私はあなたかアドンと結婚してもいいと思っていたのよ。なのに、さきに結婚するなんてひどいわ」
ルイーズは今度は、こびたように話す。私はもう、王女の話についていけなかった。意味が分からない。不快なソプラノが、ハーモニーを無視して歌い続ける。しかしアダンは辛抱強く、ルイーズとしゃべる。さらに彼女に、アレクサンドとの結婚を勧める。
「アレクサンドとの結婚は、君を幸せにする。何の心配もいらない。国王陛下と王妃殿下のご命令が、君を不幸にするわけがない。おふたりとも、君を愛している」
アダンは私に視線を送った。右手でこっそりと、私に部屋から出るように指示する。ここは僕に任せて、君は立ち去っていい、と言いたいのだろう。
わがまま王女の相手を、アダンだけに押しつけるのは気が引ける。だがおそらく彼は、ルイーズにアレクサンドとの結婚を決意させたいのだろう。そのためには、この部屋に私はいない方がいい。
私がいれば、ルイーズはフィリックスを思い出す。あるいは、セヴァーン王国の王子もいいかもと色気を出す。私は静かにソファーから立ちあがった。ほとんど音を立てずに、扉を開けて部屋から出ていく。
廊下に立って、そっと扉を閉める。細く長い息を吐いた。疲れた。いや、私より疲れているのはアダンだろう。
「ルイーズの相手は疲れたかい?」
小声で問いかけられて、私はびくんと震えた。声のした方を見ると、アドンが壁にもたれて、優しくほほ笑んでいる。
「アドン。あなたがここにいるということは……」
私は同じくピアニッシモで話した。うれしくて、この場で踊ってしまいそうだ。彼はにっこりと笑う。
「音楽の都の王子は、ピアノ室で君を待っている」
「教えてくれてありがとう!」
私は笑顔になって、廊下を走っていった。
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