バイオリンに夢中な令嬢と、初恋をかなえたい王子
第五話 ロベール伯爵家にて、恩師の楽譜
私と両親とフィリックスは、二年ぶりに一緒に昼食を楽しんだ。食後は談話室で、おしゃべりに興じる。話がひと段落すると、フィリックスがカバンから分厚い封筒を出してきた。それを私に差し出す。彼は、私の左隣に座っている。
「俺がターヤ王国の城を出る前に、フランツが俺のために曲を作ってくれた」
「え?」
私は封筒を受け取って驚く。この封筒の中身は、楽譜なのだろう。しかもターヤ王国の宝、作曲家でバイオリストであるフランツが作った曲の。フィリックスは、うんざりしたように言った。
「あの老人はヒマさえあれば曲を作る。いや、ヒマがなくても作る。俺はいらないから、君がもらってくれ」
「ええ!?」
私は仰天した。
「いらないの? もらっていいの?」
向かいのソファーに腰かけている父母も、目を丸くしている。フィリックスが話したとおり、フランツはたくさん曲を作る。どれもこれも傑作だ。彼に曲を作ってほしい人は多い。フランツの楽譜というだけで、血を見るような奪い合いが起こる。
「俺の好きな曲ではない。それにフランツは、マデリーンならこの曲を理解できると言っていた。だから君がもらってくれ」
責任重大だ。私はどきどきしながら、封筒を開く。数十枚ほどの楽譜が出てきた。フランツの手書きだ。一見しただけだが、いい曲だと確信できる。そして、バイオリンとピアノの二重奏だ。
「ひとりでは弾けないわ」
私ががっかりすると、フィリックスが簡単に答える。
「ピアノならば、君の周囲には弾ける人が多いだろう?」
私は、フィリックスと父と母を見る。技量の差はあれど、全員、ピアノは弾ける。私も弾ける。この場にはいないが、アダンとアドンも弾ける。私の周囲にかぎれば、ピアノが弾けない人はまれだ。
「フィリックス、ピアノを弾いてくれる? それともバイオリンにする?」
私はお願いした。私と彼ならば、どちらがピアノを弾いても、バイオリンを弾いても大丈夫だろう。フィリックスは、にっと笑った。
「俺はピアノにしよう。君はピアノが苦手だろう?」
苦手と言われて、私はむっとした。
「確かにバイオリンに比べれば下手だけど、この程度の難易度の曲なら……」
楽譜のピアノパートを読み進める。そこまで難しい曲では、……いや、中盤からが難しい。さらに、左手を広げてオクターブを弾かなくてはならない部分がたくさんある。私の手は小さいので、弾くのが大変そうだ。私は、楽譜からフィリックスに目を移した。
「フィリックス、手を広げて」
私は左手を広げて、彼の方へ向けた。
「唐突に何だ?」
フィリックスは文句を言いつつも、右手を広げて、私の手に近づける。彼の手は私の手より、予想以上に大きかった。彼は昔から私より背が高く、手が大きい。
「ずるいわ。あなたの方が手が大きくて、ピアノ奏者として有利じゃない」
私は怒った。そう言えば、昔も似たようなことを言って、だだをこねた。ターヤ王国の王子だから、フィリックスの方がいいバイオリンを持っている。フィリックスはずるい! と。彼はあきれて私を見る。
「そんなことで怒るなよ。相変わらず君は、音楽のことばかり考えている。バイオリンは、君の方がうまいだろう?」
フィリックスは私をなだめる。私は不満げに口をつぐんだ。父母は私たちの会話には加わらず、ふたりでのんびりとしゃべっていた。
私はフィリックスより、バイオリンがうまい自信がある。だが彼より上手だと思うほど、うぬぼれてはいない。何が言いたいのかというと、彼は私のライバルで、兄弟子でもあるのだ。
「なら、私がバイオリンでフィリックスがピアノ」
この曲に関しては、この組み合わせがいいだろう。私の決定に、フィリックスはうなずく。
「さ、ピアノ室へ行きましょう」
さっそく弾いてみよう。私はソファーから立ちあがった。
「ついてきて。案内するから」
楽譜を読みながら、扉の方へ歩く。フィリックスはすでに、この曲を何度か弾いているだろう。私は初見で、どれだけ弾けるかな?
「おいおい。ふらふら歩いて、壁にぶつかりそうだぞ」
フィリックスのあきれた声。
「こら! マデリーン、前を向いて歩きなさい」
「楽譜を読むのをやめなさい」
父母の怒る声。私は振りかえった。フィリックスはまだ、ソファーに座っていた。
「フィリックス、弾かないの? 一緒に練習しようよ」
楽譜があるのに弾かないなんて、ありえない。
「悪いが、マデリーン。ひとりで練習しておいてくれ」
彼は申し訳なさそうに断った。
「俺はロベール伯爵たちに、相談したいことがある。相談が終わったら、ピアノ室へ行くから」
彼は、私の父母と話がしたいらしい。フィリックスは、いいですか? と私の両親に視線で問いかけた。
「もちろん」
彼らは、にこりとほほ笑む。フィリックスはほっとした。彼は、どんな相談をしたいのだろう。分からないが、とにかく私はこの曲をはやく弾きたい。
「じゃあ、相談が終わったら、すぐにピアノ室に来てね」
「あぁ」
フィリックスの返答を聞いて、私はまた楽譜を読み始めた。扉を開けて、部屋から出ていく。
「マデリーン! 楽譜から目を離して!」
母のしかる声。
「マイペースというか、周囲を見ない娘だ」
父のあきれる声。
「いえ。マデリーンらしいですよ。それにフランツの楽譜を渡したら、こうなるだろうと予想していました」
フィリックスの声を最後に、私は廊下を歩いていった。
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