水底呼声 -suitei kosei-
11−6
村長はライクシードに対して,ていねいに礼を述べた.
「ミユを助けていただき,ありがとうございました.」
「私は通りかかっただけですから.」
ライクシードは初対面を装う.
「ぜひお礼をさせてください.どうぞ村へ来てください.」
村長はライクシードを連れていこうとしたが,彼は固辞した.
「私は行かなくてはなりませんので.」
ひらりと馬に乗り,さようならとほほ笑む.
身のこなしの優雅さに,村の男性たちは感心している.
ライクシードは馬を駆り,またたく間に去った.
名前さえ告げなかった彼に,
「まるで王子様だねぇ.」
村長は感嘆する.
みゆは心の中で「彼は本物です.」と答えた.
そして五日後,みゆは夜明け前に目を覚ました.
暖かな布団からはい出て,眼鏡をかける.
ベッドから降りて,靴をはく.
冷たい夜気の中,呼ばれているのが分かった.
みゆは早足で,部屋から出て行く.
寝静まっている家の中を,静かに駆け抜けた.
家の外に出ると,空はうす暗い.
ぶるりと,寒さに震えた.
寝間着のままだった.
けれど引き返そうとは思わない.
集落の外へ向かって,走る.
東の地平から,太陽が光の矢を放つ.
踏み固められただけの道の向こうから,やってくるものがある.
みゆは村から飛び出て,がむしゃらに足を動かした.
近づいてくる馬の駆ける音と,自分のあらい息づかい.
「ウィル!」
馬上の人物は馬を走らせたままで,飛び降りた.
みゆが走るより早く,二人の距離を縮めていく.
顔が確認できるほどそばまで来ると,あっという間に抱きしめた.
「会いたかった.」
想いのこもった言葉が降り注ぐ.
みゆは背中に腕を回して,ぎゅっと抱きしめ返した.
何もいらない.
心の底から満ち足りる.
ここが私の居場所だから.
ウィルの腕の力が,ほんの少し弱くなった.
手がほおに触れてきたので,みゆは顔を上げる.
朝日を浴びて,恋人はほほ笑んでいた.
くせのある黒髪,深い夜の色をした瞳.
日に焼けた汚れた肌,汗のにおい.
口もとに不精ひげが生えている.
中性的で,かわいらしい少年だったのに.
ほおに触れる手のひらが固い.
見上げないと,目が合わない.
もう女装などできないだろう.
髪の色も目の色も,服の色さえ変わらないのに,それらが醸し出す雰囲気が変わった.
もはや男の子ではない,今,目の前にいるのは男だった.
ぼんやりと見ほれてから,みゆは恥ずかしくなって顔を下げる.
「ミユちゃん,」
呼びかける声も低い.
「キスしていい?」
「なっ,何から話せばいいのか,」
ちゃんとしゃべることができない.
「何からたずねればいいのか,」
同じ人物にときめいて,また恋に落ちた.
反則だ,一回りも大きくなった姿で現れるなんて.
「いっぱいありすぎて分からない.」
くすくすと笑う声が頭上から聞こえた.
「僕には話したいことはないよ.」
え? と顔を上げた拍子にキスされる.
「たずねたいこともない.」
くすりと笑む表情が,つやっぽい.
くらくらしているうちに,再び唇を奪われた.
「君は僕のもの.でも今は,離してあげるよ.」
「なぜ?」
離さないと言われると思ったのに,体ごと解放された.
次にウィルはマントを脱いで,みゆに着せる.
そこでやっと,気づいた.
そばではウィルの乗っていた馬が退屈そうにたたずみ,村からは大注目を浴びていることに.
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