水底呼声 -suitei kosei-

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  7−8  

騒がしい一階から逃げて,二階の部屋に入る.
ライクシードが振り返ると,みゆは静かに泣いていた.
真っ青な顔で,体を震わせて.
ライクシードは途方に暮れた.
どうして,こんなに手に入らないのだろう.
彼女は,彼女だけは得られない.
どれだけ追いかけても,捕まえたとしても.
「国立図書館の館長殿から聞いた.」
知らず,話し出していた.
「カリヴァニア王国について書かれた本が,大神殿にあると.」
兄の言葉に耳をふさいで,妹の心配そうなまなざしから目をそむけて.
「一冊だけ手に入れたけれど,暗号になっている.」
自分はいったい,どこへ向かうのか.
「君も見てくれないか?」
恐怖に彩られた漆黒の瞳が,徐々に別の色を帯びていく.
「手に,入れた?」
ゆっくりと問いかける.
ライクシードはうなずいて,できるだけ優しく彼女を抱き寄せた.
君のそばに,いさせてほしい.
「私と一緒に,呪われた王国を救う方法を探さないか?」
「お断りだよ,王子様.」
返事は,背後から聞こえた.
振り返るとともに,剣を抜く!
攻撃をちゅうちょさせないほどに,この声は殺気にあふれている.
「ウィル!」
みゆの声が,少年の正体を教えた.
間近でぶつかり合う刃.
驚いたことに,少年はナイフで剣を受け止めた.
黒髪黒目の小柄な少年だ.
日に焼けた肌と,少年特有の細い手足をしている.
顔は,先ほどやって来た父親のルアンにそっくりだ.
戦いには向かない,柔和な顔だちをしている.
けれど今,その優しげな顔を怒りにゆがませていた.
ちらりとライクシードから視線を外して,横目で何かを探る.
そこには,少年を心配そうに見つめるみゆの姿があった.
ライクシードは力任せに,少年を押しやる!
ウィルは軽くよろめいたが,すぐに襲いかかってきた.
再び激突する.
だが,ライクシードの方が有利だ.
少年の武器はナイフ,対してライクシードの手にあるのは剣.
ライクシードは左手でみゆを捕まえたまま,右手の剣でナイフをはじいた!
落ちたナイフが,すとんと床に突き刺さる.
しかし少年は引かない.
いつの間にか左手に持っていたナイフで対抗する.
少年のねばり強さに,額から汗が落ちた.

みゆは,二人の戦いを見守った.
いや,王子に腕をつかまれて,間近で見ることを強制されたと言っていい.
ウィルは部屋に現れたときから,息を切らしている.
ルアンの知らせを受けて,あわてて帰ってきてくれたのだ.
そしてライクシードの剣に対して,ナイフのみで戦っている.
魔法の呪文を唱えないし,ナイフを投げることもしない.
それは,そばにいるみゆが巻きこまれることを恐れているから.
技を制限された少年は,どんどん押されていく.
ナイフを何回も落とし,そのたびに服の中から新しいものを取り出す.
腕力はライクシードの方が上だ,体もずっと大きい.
少年に,勝ち目はない.
「ウィル,逃げて!」
みゆは横から,王子に体当たりをくらわせた.
「ミユ!?」
予想外の攻撃だったのだろう,彼は簡単に押し倒される.
「逃げて!」
ライクシードを下に敷いたままで叫んだ.
しかし少年は,立ちすくんでいる.
目が,泣き出しそうだった.
やだよ,と少年の口がつむぐ前に,
「ミユ,やめないか.」
みゆをのせたままで,王子が体を起こす.
「君を置いて,ウィルが逃げられるわけがないだろう?」
怒ったように言う.
みゆは,自分を人質に取られた少年の不利な立場を悟った.
ライクシードはみゆを抱いて,立ち上がろうとしたが,
「ミユさんを離せ.」
上から声が降ってくる.
若草色の髪の少年が,背後から王子の首筋に剣を当てていた.
息を弾ませて,怒りに満ちた顔をしている.
「ミユさん,離れてください.」
スミの指示どおりに,みゆはライクシードの上からどいた.
恋人のもとへ向かうと,ぎゅっと抱きしめられる.
「よかった,君が無事で.」
ウィルから,ぴりぴりとした緊張が抜けていくのが分かった.
みゆは腕を回して,しがみつく.
もう何も,言葉にならなかった.
奇妙な空白の中で,だんだんだんと階段を駆け上がる音が響く.
「古藤さん,無事か!?」
転がるように,翔が部屋に入ってきた.
左目の下には青あざがあり,鼻の下や口のまわりは血で赤い.
彼はみゆの姿を確認すると,力尽きて前のめりに倒れた.
「よ,よかった.」
両手を床について,ぜいぜいとあえぎ,汗がぽつぽつと顔から落ちる.
翔の後ろから,バウスがやってきた.
表情はこわばり,怖いほどだ.
鋭い目で,部屋全体を眺め渡す.
おそらく翔が,城からバウスとスミを呼んでくれたのだろう.
みゆは,ありがとうと礼を述べようとしたが,声が出なかった.
「スミ,剣を引いてくれ.」
バウスが,ライクシードに剣を突きつけている少年に頼む.
スミは一瞬迷った表情を見せたが,断る,と口にした.
「じゃぁ,そのままでいい.――目が覚めたか,ライク?」
ライクシードは小さく,はいと返事する.
「お前は城から追放する.首都の街からも出て行け.」
厳しすぎる処分に,みゆはぎょっとした.
バウスたちの顔を観察すると,そこには軽蔑がにじんでいる.
「あ,あの,私は何も,されていません.」
もつれる舌でしゃべった.
誤解を解かなければならない.
彼らは,ライクシードがみゆに乱暴を働いたと思っているのだ.
「かばわなくていい.君は被害者だ.」
バウスは冷静に言い返す.
「何があったにせよ,そんな蒼白な顔をしているんだ.弟は罰せられるべきだ.」
「兄さん.」
ライクシードが,少しだけ大きな声を出した.
「すみませんでした.」
後悔の念が多く含まれた声だった.
「ミユ,」
呼びかけられて,みゆはびくりと震えてしまう.
王子は何も話さずに,視線を落とした.
ウィルの腕が,より強くみゆを包みこむ.
たくさんの想いが重なった沈黙が流れたが,
「僕の息子は間に合ったみたいだね,ミユちゃん.」
場違いなほどに,明るい声が割りこんだ.
バウスと翔の後ろから,黒いローブを着た男が現れる.
今度は幻ではなく,実体のようだ.
「黒猫!? なぜあなたが?」
バウスが目を丸くする.
ルアンは,にっこりとほほ笑んだ.
「バウス殿下,ひさしぶりだね.五年ぶり,いや十年ぶりかな?」
「七年です.」
王子が,やけにていねいな態度で答える.
二人は顔見知りなのかと,みゆは飽和した頭でかすかに驚いた.
「あなたに息子がいたとは,知りませんでした.」
バウスはウィルの方に目をやって,なかばぼう然としてつぶやいた.
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