水底呼声 -suitei kosei-

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  7−7  

「カリヴァニア王国を救うためです.」
ひとつ息を吸ってから,みゆは答えた.
「四年後に,海の底へ沈むから?」
ライクシードの問いに,はいとうなずく.
「ならば,なぜ私に教えてくれなかった?」
彼の顔は,つらそうだった.
「ごめんなさい.」
みゆはずっと,ライクシードをだましていた.
彼は何かと親切にしてくれたのに.
「初めて会ったとき,私が君に剣を向けたからか?」
「いいえ.」
反射的に否定したが,確信が持てなかった.
確かにあのとき,ライクシードは怖かった.
首に当てられた刃の冷たさに恐怖した.
けれど,
「殿下が原因ではありません.」
みゆは結論づける.
「カリヴァニア王国の民は,罪を犯して神聖公国から追い出されたと聞いていたので,」
今,王子は剣を腰に下げているが,抜いていない.
なのに,切っ先をこちらに向けているような,すごみがあった.
「王国から来たと知られれば,その,――罪人のような扱いを受けるのではないかと,」
不安と緊張が入りまじり,みゆは言葉に詰まっていった.
「私は,君を守りたかった.」
ライクシードの表情は苦い.
「君が王国から来たと告白したとしても,気持ちは変わらなかったと思う.」
声には,深い後悔がにじんで.
「だが結局,私は君の信頼を得られなかった.」
自分が重大な過ちを犯したかのように.
「いいえ,殿下が悪いのではありません.」
みゆは言った.
「私が悪いのです.たった一人でこの国に来て,――私,心細かったのです,怖かったのです.」
ウィルたちと別れて,一人きりになって.
「だから誰に対しても過剰に警戒して,おびえてしまって.」
もしも少年たちがいたならば,隠しごとをせずにすべてを打ち明けていたのかもしれない.
「ライクシード殿下を信頼できなかったのは,私が弱かったからです.」
彼は,バウスからもセシリアからも,かばってくれた.
だから,そんな風におのれを責めないでほしい.
「私がもっと,しっかりしていれば,」
「君の話を聞いていると,」
せりふが,さえぎられる.
「私は自分が,本当にちっぽけな存在に思えてくる.」
王子は怒っていた.
「君は私をかばうのみで,私の非を責めることすらしない.」
みゆは後ずさろうとしたが,背後は壁である.
すぐ脇には開いた窓があるが,彼を前にして逃げられるとは思えない.
みゆは,ライクシードの顔を見上げた.
何を言えばいいのか,分からない.
何を言えば,彼が満足するのか分からない.
二人の心は,決定的に行きちがっている.
同じものを語っているのに,ちがうものを見ている.
「ミユ,君を愛している.」
王子は,ただ悲しそうだった.
「君の力になりたいと思っているんだ.」
何も,答えることができない.
どれだけ懇願されても,彼の想いには応えられない.
「ショウ,」
ライクシードは振り返った.
「家の外で待ってくれないか? 彼女と二人で話し合いたいんだ.」
「嫌だ.」
翔は,きっぱりと断る.
「ずっとおかしいと感じていたんだ.やる気がないくせに,妙に熱心で.」
王子の視線から解放されたみゆは,窓の外を見た.
「あんたは俺を利用したんだな.古藤さんを探していたのは俺じゃない,あんただったんだ.」
とたんに,ぎょっとする.
大勢の人が,家の中をのぞいているのだ.
「そうだよ.」
二人は気づかずに,会話をしている.
「私はミユを探していた,君が神聖公国に来る前から.」
翔は,みゆの方へ視線を向けた.
まなじりを上げた目で,非難する.
いったい,この王子に何をしたのだと.
翔が動かないのを見ると,ライクシードはみゆの腕を引いた.
二階に続く階段へ向かう.
一段目に足をかけたとき,みしりと木の音が鳴った.
その音は,みゆの心に大きく響く.
黒の少年ならば,この階段を音を立てずに登り降りする.
「柏原君!」
みゆは遠慮や恥を,かなぐり捨てた.
「助けて! お願い,助けて!」
腕を取り戻そうと,必死になって引っぱる.
このまま連れて行かれて二人きりになれば,何をされるか分からない.
今のライクシードは,みゆにとって危険すぎた.
「ミユ!」
腕をぐいと引かれて,体のバランスを崩す.
「抵抗しないでくれ.」
「離してください!」
体勢を立て直して,踏んばる.
が,みゆ一人の力では勝てない.
「助けて,柏原君!」
プライドも何もなく,クラスメイトにすがった.
翔は悩んだ顔を見せたが,意を決したように二人の間に飛びこむ!
彼の助力により,腕が自由になる.
「逃げるぞ!」
翔とともに,みゆは玄関に向かって走り出した.
翔が,扉の内側につけられた鎖を外す.
すると勢いよく外側から扉が開けられて,彼は前のめりに倒れる.
扉のまわりにも,人だかりができているのだ.
「ミユ!」
みゆは王子に,背後から捕らわれた.
「お願いだ,逃げないでくれ.」
切ないばかりの声に,胸が苦しくなる.
けれど抵抗を続けた.
突然,
「彼女を離してくれないかな,ライクシード殿下.」
背後からの声に,ライクシードはみゆを手放し,すばやく体の向きを変える.
みゆは二,三歩よろめいてから,声の主を発見した.
「ルアンさん!」
心強い味方の登場に,声が弾む.
彼は,にっこりとほほ笑んだ.
「ウィルに知らせたよ.すぐにこの家に戻ってくる.」
王子は,すらりと剣を抜いた.
黒猫は身構えずに,くすりと笑む.
「いい加減,横恋慕はやめてほしいな.」
ライクシードが飛びかかる!
みゆは悲鳴を上げた.
空気を裂く音とともに,剣が水平に振るわれる.
ルアンの体は上下に割れて,煙のように消えた.
「やはり幻か.」
王子が,剣をさやに戻す.
みゆは,体ががたがた震えて止まらない.
間近で見た彼の剣技は,大きな恐怖を植えつけた.
ウィルやスミにはない迫力だ.
「行こう.」
腕を取られて,階段まで歩かされる.
翔を探して玄関の外を見ると,彼は街の男たちになぐられている.
みゆは絶望的な気持ちで,二階へ連れられた.
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