水底呼声 -suitei kosei-
12−4
神聖公国ラート・リナーゼは,豊かな国だ.
建国以来,飢饉(ききん)に見舞われたことも,天災に襲われたこともない.
気候は暑すぎず寒すぎず,過ごしやすい.
いく度かの内乱を経験したが,外国との戦争はおきない.
神の結界が,国を守っているのだ.
憂うことは何もない完璧な国.
しかし神聖公国には,ひとつだけ欠点があった.
豊かな国だからこその問題点が.
「ただでさえ人間があふれかえっているのに,移住なんて受け入れられない.」
バウスは背中を丸めてソファーに座り,声を押し出す.
人口増加は,歴代の国王たちをずっと悩ませてきた.
特に,首都リナーゼの人口過密はひどい.
現在は廃止されているが過去には,子どもは一人しか産んではいけないという政策や,二十才未満の女性は産んではいけないという政策が実施された.
今でも,多産の者に対する目は厳しい.
けれど夫婦が愛し合うのは自然なことであり,愛し合えば子が授かるのは当然である以上,どうしようもない.
逆に神聖公国は,同性愛者には寛容である.
彼らには子ができないからだ.
「神聖公国から,すぐに別の国に移動してもらうことはできないのですか?」
向かいの席で,背筋を伸ばして座っているスミが提案する.
「難しいな.」
バウスの隣にいるマリエは黙って,会話に耳をかたむけていた.
濃い灰色の瞳が,そばにいてくれるだけで,バウスの心を落ちつかせる.
「神聖公国は豊かな国だが,周辺の四国はちがう.」
東に国境を接する水の国は,洪水などの水害が多い.
西に国境を接するバンゴール自治区は,砂漠だ.
北に国境を接するラセンブラ帝国は,雪原だ.
南に国境を接するスンダン王国は,竜巻や強風などの風害が多い.
結界の内と外では,まったく自然条件が異なる.
どの国も貧しく,移住を受け入れる余裕はない.
そもそも神聖公国の土地をほしがって,国境の結界に攻撃をしかけているのだ.
神聖公国を囲む結界は,外部からの侵入を許さないが,視界や音はさえぎらない.
従って,神聖公国のみが恵まれていることを,彼らは知っている.
軍隊による攻勢がもっとも激しいのは,スンダン王国だ.
次が,バンゴール自治区である.
ところが自治区では,軍人たちとは別に,らくだに乗った商人たちもやってくる.
彼らが売るのは,結界の外の国々に関する情報だ.
バウスたち神聖公国の人間は,たいていの場合,このようにして自国以外の情報を得る.
ラセンブラ帝国では,軍隊はやってこないが,偵察の男たちがやってくる.
水の国では,飢えた難民たちが助けを求めている.
神聖公国では,彼らをあわれんで,食料や薬などを送る者たちがいる.
「移住先はどんな荒地でもいいと親書に書かれているが,周辺諸国には荒地しかない.」
そして,すでに人が住んでいる.
金品を渡したとしても,土地は譲ってくれない.
「だから土地がほしかったら,武力で奪うしかない.」
神聖公国かバンゴール自治区かラセンブラ帝国か水の国かスンダン王国を,侵略するしかない.
「そんなことはできません.」
スミが青い顔で答えた.
「そうだな.それにカリヴァニア王国が戦争で勝てるとは思えない.」
スミから聞いたかぎり,本当に小さな閉ざされた国だ.
もしも洞くつの結界をやぶって軍隊を送りこんでも,洞くつの出口で迎撃されて敗退するだろう.
いや,バウスは神聖公国の王子として,彼らを必ず追い返さなければならない.
また,カリヴァニア王国を覆う結界を切って,水の国へ行っても負ける.
それどころか,カリヴァニア王国の方が侵略される.
王国は,神聖公国とはちがい,外国から攻撃を受けることをまったく考えていないという.
よって水の国の盗賊たちはすべてを食いつくし,水没する前に逃げるだろう.
カリヴァニア王国の国民たちを放っておいて.
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