水底呼声 -suitei kosei-
9−5
血だまりの中,倒れふすウィルのもとへライクシードは駆け寄った.
少年の体をあお向けて,左の太ももに布を巻きつけ止血を行う.
痛みのため,ウィルがうめき声を上げた.
みるみるうちに,布が血に染まる.
「医者を呼べ!」
事態を見守るしかできなかった門番の兵士たちに,ライクシードは命令する.
「はい!」
二人の兵士たちがびっくりしたように,城の中へ走った.
ライクシードは慎重に,血まみれの少年を抱き上げる.
出血がひどい,顔色だって真っ青だ.
国王ドナートは,何かをこらえる表情でウィルを見ている.
そして頭を下げた.
「ウィルを助けていただいて感謝します.」
えらくていねいな態度に,ライクシードは驚いた.
少年の左足から,ぽたぽたと血が落ちる.
適当な返事をしてから,できるだけ早足で城の中へ戻った.
馬のサウザーランドが,悲しげな目で見送る.
なぜ自分の馬をみゆたちが連れてきたのか解せないが,今はそれどころではない.
国王のおいであるシャーリーが,厳しい顔つきで近づいてきた.
ライクシードは,彼に誘われてここまで来たことを思い出す.
年が近く,彼とは親しいのだが,
「どうしてウィルを助けたのですか?」
シャーリーは小声で,責めるように問うてきた.
おりしも医者と思わしき二人の男女がやって来たので,ライクシードはウィルを預ける.
その場で服が切り裂かれ,治療が急ぎ始まった.
邪魔にならないように下がってから,シャーリーに聞き返す.
「助けてはいけなかったのですか?」
彼がウィルに好感情を抱いていないことは,気づいていた.
けれどまさか,少年の死を望んでいるかのようなことを口にするとは.
「先ほどの行動で,あなたは大勢の人から恨まれましたよ.」
シャーリーは怒っていた.
「恨まれた?」
ライクシードは理解できずに,まゆを寄せる.
「ウィルは人殺しです.国王陛下の,」
話の途中で,口を閉ざす.
ドナートが来たのだ.
「陛下,暗号は私が解きます.」
シャーリーは宣言する.
「黒猫は不要でしょう.ちょうどいい機会だから,処分しませんか?」
黒猫とは,ウィルのことだ.
理由は分からないが,城の者たちは少年を黒猫と呼ぶ.
だが処分とは何ごとだ?
ライクシードは信じられない思いで,シャーリーの顔を見返す.
「暗号の本を持ち帰ったのはウィルだ.」
国王の視線は,医者たち,――五,六人に増えた男女に囲まれた少年の方を向いている.
心配そうなまなざしだった.
「それは結果として,そうなっただけです.ウィルに王国を守る意志はありません.」
シャーリーは,ウィルの手柄を認めたくないらしい.
みゆたちの帰還が城に知らされたときから,そうだった.
「黒猫は危険です.いつ,また裏切るのか予想がつきません.」
どういういきさつがあったのか,過去にみゆとウィルは城から逃げた.
「生かしておけば,どんな害になるのか,」
「黙れ!」
たまりかねたように,ドナートはどなる.
怒りをあらわにして,シャーリーをにらみつけた.
「ウィルは本を手に入れた.」
低く,うなる.
「お前は何をした? 何もしていないだろう.せめて暗号を解いてから,私に意見してはどうだ.」
シャーリーは自尊心を傷つけられたらしく,顔をしかめた.
しかし国王は構わずに,足早に城の奥へ立ち去る.
途中で,医者の一人に声をかけた.
「もちろん努力します.ですが最悪の場合,足が…….」
医者の声だけが届く.
シャーリーは大またで,城の外へ出ていった.
ライクシードは一人,残された.
一か月ほど前のことだ.
ライクシードは洞くつをくぐり,カリヴァニア王国へやって来た.
洞くつの出口には,三人の若い男たちがいた.
彼らは,使者である翔と百合を待っていたらしい.
ライクシードは彼らのうちの二人に案内されて,王都へ向かった.
国民の多くは外国の存在を知らないと言われ,道中ではほとんど街や集落には寄らなかった.
王城にたどり着くと,すぐさま国王と側近たちに引きあわされる.
カリヴァニア王国について書かれた暗号の本を差し出すと,彼らは大いに喜んだ.
だが暗号は一冊のみでは解けないと,声を沈ませる.
どのように残りを手に入れるか,また異世界の人間を召喚して神聖公国へ行ってもらうか.
国王たちと相談しているうちに,ウィルたちの帰国が城に知らされた.
しかも彼らは,本をすべて持っているという.
ライクシードは国王たちは狂喜すると思ったが,彼らの表情はなぜか複雑だった.
「まさか帰ってくるとは…….」
「とにかく,ほうびを取らせよう.一生かかっても,使いつくせないほどの大金を与えればいい.」
「それで文句はないはずだ.」
と,後ろめたそうに話しあっていた.
ライクシードは,医者たちの手当てを受けるウィルから,城の外に視線を転じた.
前庭では,シャーリーがウィルたちの荷物から本を取り出している.
何度確認しても,みゆと翔の姿はない.
そしてウィルは倒れている.
人の手柄を横取りしているシャーリーに,ライクシードは嫌な気分になった.
カイルはなぜ,あのような暴挙に出たのか.
みゆと翔は,どこへ消えたのか.
シャーリーは,ウィルを見殺しにするように国王に進言した.
本を持ち帰ってきたのに,みゆたちは歓迎されるどころか,邪険にされている.
ただ一人国王のみは,大けがをしたウィルを心配しているが…….
ライクシードは,腰の剣を手で触って確かめた.
ウィルのそばから離れないでいよう.
王城の中が,少年にとって安全とは思えない.
加えて今のウィルは,自分で自分の身を守れない.
いなくなったみゆを探すよりも,彼女がもっとも大切に思っている少年を守る.
それが,みゆのために自分ができることだと思った.
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