水底呼声 -suitei kosei-

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  5−4  

聖女は十六歳になると,一人きりで神の塔へ入る.
次代の聖女を身ごもるために,聖女の血筋を後世へつなげるために.
生まれてくるのは,必ず女の子.
しかしまれに,双子が産まれる場合がある.
「つまり僕の母親は聖女マール,そして僕の双子の姉は聖女リアン.」
みゆはソファーのそばで両ひざをついて,ルアンの話に耳をかたむけた.
彼の話を信じるのならば,彼の祖母はサイザーで,いとこはセシリアである.
「僕とウィルは聖女の血を引いている,セシリアよりずっと濃く.」
「だからあなたは,ラート・ルアンと呼ばれたの?」
神官長が彼をラートと呼んだことを思い出して,たずねた.
「そうだよ.ウィルも本来ならば,ラート・ウィルと呼ばれるべきなんだ.」
「あなた,夢の中で自分は大神殿の黒猫だと言ったわ.」
黒猫が何を指すのか,みゆは知らない.
まさかウィルと同じように,暗殺者なのだろうか.
「黒猫って何?」
「黒猫は,存在を公にできないもののたとえだよ.」
皮肉げに,唇の端を上げた.
「聖女の双子は秘密なんだ.ただ一人だけの存在でないと,聖女の絶対性が損なわれるからね.」
二人もいると,貴重な存在でなくなるということだろうか.
手前勝手な理屈のように感じられた.
「僕がウィルの父親だと,信じてくれたかい?」
にっこりとほほ笑む.
みゆは何とも返事ができない.
すると,
「あなたが父親だというのならば,なぜウィル先輩を手放したのですか?」
スミが初めて,口を開いた.
「先輩は,自分には父も母もないと言っていましたよ.」
今まで見たことのないほどに,冷たい目をしている.
「奪われたのだよ,サイザー様や神官長に.」
ルアンの顔が,苦しげにゆがんだ.
「産まれたばかりのウィルを取り上げられた.僕は牢に入れられて,」
言葉が止まり,体が打ち震える.
「結局,僕はウィルを守れなかった.大切な,……彼女の忘れ形見だったのに.」
僕はもう十五歳の子どもじゃない.二度とあなた方に息子を渡さない.
神官長に向けた彼のせりふを,みゆは思い起こした.
とたんに,年齢に引っかかる.
ウィルが産まれたとき,ルアンは十五歳だった?
「ちょっと待って.あなたはウィルの父親にしては若すぎない?」
彼は,うそをついているのだろうか.
するとルアンは,情けない笑みを見せた.
「待てなかったんだ.」
「は?」
聞き返した後で,意味が分かって,みゆは顔を熱くする.
つまり十四歳前後で,そういうことをしたらしい.
彼もつられて,ほおを赤くする.
気まずい空気が流れたが,
「そうだ,カイルは生きているのだろう? 彼は今,どこにいるのだい?」
場を取り繕うように,ルアンがちがう話題を振った.
「カイルがウィルを助けてくれたんだ.彼に会って,礼を言いたい.」
みゆはちらりと,スミの方へ視線をやる.
少年が黙っているので,みゆも口をつぐんだ.
「カイルを,知らないのかい?」
ルアンは悲しそうに問いかける.
それでもみゆが答えないので,彼は瞳を伏せて「そうか…….」と小さくつぶやいた.
「ならばやはり彼は死んだのか.遺書があったのに,ばかなことを聞いた.」
みゆは,ウィルの寝顔を見つめた.
カイルの名前まで知っているとは,彼は本当にウィルの父親かもしれない.
もう疑う余地はないのかもしれない.
「ウィルを起こしてください.」
みゆは視線を,ルアンへ戻した.
「嫌だよ,ウィルは起きたら逃げてしまう.」
「逃げずに,あなたの話を聞くように説得します.」
彼は驚いたように,瞳をまばたかせる.
「ウィルに判断してもらいます,あなたが自分の父親かどうかを.」
先ほどまでの話は,みゆではなくウィルが聞くべき話だ.
ルアンを認めるかどうかは,少年が決めるべきなのだ.
「判断も何も……,僕はこの子の父親なのに.」
「ウィルが眠ったままでいいのですか?」
彼は沈黙した.
視線は,眠る少年に注がれている.
スミはいまだに彼の背後に立ち,警戒を解いていない.
だがみゆは,ルアンがみゆたちをこの部屋に入れた理由に気づいた.
ウィルが眠ったままではどうにもならないと,彼は分かっているのだ.
「眠りを解くよ.だから……,」
すがるように,みゆを見つめる.
みゆはうなずいた.
ルアンはソファーに近づいて,指先で少年のほおに触れる.
「神の慈悲が約束された子よ,その目に映る世界が光り輝くものであるように.」
ぴくり,と少年の体が動き,ゆっくりと黒の瞳が開く.
瞳の焦点が合ったとたん,みゆの腕を引っぱった!
「きゃぁ!?」
「スミ,やれ!」
鋭く叫ぶ,と同時にダン! とたたく音.
みゆはソファーに放り投げられた.
ついで,ドン! と落ちる音.
何が起こっているのだ!?
みゆは起き上がり,自分をかばう黒の少年の背中にはばまれる.
その向こうで,スミが真剣を構えている.
うつぶせに倒れたルアンの背中にのり,首筋にやいばを当てている.
「やめて!」
みゆが飛び出そうとするのを,ウィルが押しとどめた.
「駄目だよ,ミユちゃん.」
背中を向けたままで言う.
「この男は危険だ.」
こわばった背中,緊張をはらむ声.
こんなにも警戒している少年は初めて見る.
「危険じゃないよ.」
スミの下から,ルアンが訴えた.
「僕が君を傷つけることはない.」
床のじゅうたんにあごをつけて,必死に見上げる.
「お願いだ,僕におびえないでくれ.」
悲痛な声に,みゆは胸を打たれた.
「ウィル,――この人は,あなたのお父さんかもしれないの.」
少年を監禁した自分勝手な男だが,彼がウィルを愛しているのは間違いがないように思える.
「彼に剣を向けないで.話を聞いてあげて.」
ルアンを取り押さえているスミが,困ったようにまゆを下げた.
ウィルも同じような表情をしているのだろう.
彼は,ウィルを五日間も閉じこめることができた男.
危険人物として,少年二人が用心するのは当たり前だ.
ウィルが,みゆをなだめるような声を出す.
「僕に父親はいないよ.僕は黒猫だから,」
「黒猫と名乗るのならば,」
ルアンが覇気を取り戻したように叫んだ.
「君は僕の息子だ.カイルが教えたのだろう,あなたは黒猫ですと!」
ぴりりと少年のまとう気配がきつくなる.
「やめて,ウィル!」
かすかに動いた右腕に,みゆはしがみついた.
「あなたのお父さんを殺さないで!」
図星だったのだ,彼の言ったとおりだったのだ.
「殺すなら殺せばいい,けれど君は僕の息子だ!」
ルアンが大声でわめく.
「僕とリアンの子どもだ,僕たちが愛し合ったあかしだ,誰にも否定はできない!」
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