水底呼声 -suitei kosei-
5−1
腹の傷を確認して,包帯を巻き直す.
まだ,けがは完治していない.
だが,これ以上は待てなかった.
スミは服を着ながら,ナイフなどの暗器を仕込む.
剣を腰に下げたが,けががある以上,接近戦は避けて飛び道具で勝負するつもりだ.
少年は準備を済ませると,部屋から廊下へ出る.
そして向かいの部屋の扉をたたいた.
「ミユさん,着替えは終わりましたか?」
「うん.入っていいよ.」
扉を開くと,男ものの服を着たみゆが立っている.
帽子をかぶり,眼鏡を外していた.
「どうかな?」
両手を広げてみせたが,少年は驚きのあまり,返事ができない.
「髪が…….」
背中を覆っていた長い髪が,肩につかないほどに短くなっている.
そのために,さらに男装して眼鏡もないので,ずいぶんと印象が変わった.
よく言えば,活発で明るい雰囲気になっている.
「邪魔だから切ったの.」
不ぞろいの髪で,彼女はほほ笑んだ.
「ちゃんと男性に見える?」
「はい,遠目には.」
「よかった.これでリナーゼの街を歩けるね.」
彼女は満足げだったが,スミは心からショックを受けた.
みゆを守るように頼まれていたのに,彼女の髪を守れなかった.
まさか切ってしまうなんて,予想できなかった.
黒の少年がいなくなって,五日がたった.
スミは街の中を,――特に城と神殿のまわりを念入りに捜索したが,ウィルは見つからなかった.
これ以上は,街を出て探さなくてはならない.
それにどう考えても一番怪しいのは,黒猫が最後に向かった大神殿だった.
スミはみゆと相談した.
ウィルを探すために,大神殿へ行きたい.
けれどそうすれば,彼女は一人で隠れ家の中で待たなければならない.
長時間,彼女を一人にするのは不安だった.
さらに,もしも自分も帰れなくなったならば,と考えると恐ろしかった.
ならば一緒に行こうと,みゆは言う.
リナーゼの街は今,兵士たちの捜索活動が終わり,門は開いている.
変装して人ごみに紛れてしまえば,きっとばれないだろうと.
リナーゼの東に位置する大神殿は,神聖公国最古の神殿である.
首都神殿が建てられる前までは,そこが全国の神殿の総本山だった.
代々の聖女は皆,大神殿に住む.
また聖女の誕生に関わる神の塔も,同じ場所にある.
よって聖女の中には,産まれてから死ぬまで大神殿から出たことのない者もいたらしい.
彼女たちは,程度の差こそあれ,大神殿の中で俗世間から隔離されて生きるのだ.
けれどセシリアだけは例外で,首都神殿の中で暮らしている.
「ねぇ,ライク兄さま.」
大神殿に住むことを断固として拒否した少女が話しかける.
「本当にカズリと結婚するの?」
揺れる馬車の中で,ライクシードは窓の外から少女へ視線を移した.
カズリには,婚約の解消を頼んでいる.
だが彼女が承知するまで,そのことを誰にも話すつもりはなかった.
「お前に乗馬を教えるのではなかったな.」
苦笑して言うと,少女は話をそらされたことに気づいて,むっと唇をとがらせる.
「兄さまのことを心配しているのに.」
「ありがとう.ただし首都神殿から脱走するのは,できるだけやめてくれ.」
ライクシードは五日前に,カリヴァニア王国の書物が大神殿にあると聞いた.
その後すぐに,国王から大神殿に入りたいと申し入れてもらった.
しかし無意味にもったいぶられて,許可が出るまで五日もかかった.
渋い顔をする兄を振り切り,ライクシードは馬車で大神殿へ出発した.
リナーゼの街を出ると,「私も連れて行って!」とセシリアが馬で追いかけてきた.
大神殿へ行くことは伝えていたが,少女がこのような行動に出るとは思わなかった.
「結婚は,好きな人とした方がいいと思うわ.」
説教らしきものを,少女は始める.
「ライク兄さまはミユが好きでしょう? だから首都神殿で,彼女を連れて逃げたのよね?」
あまりにもはっきりと言われて,返答に困った.
「彼女は聖女になるけれど,次代の聖女を産んだ後ならば,結婚は自由よ.」
聖女と王族の結婚は珍しくない.
そもそもセシリア自身が,両方の血を引いている.
だが,
「セシリア,ミユは呪われた王国から来たんだ.」
「そうだけど,ちがうわよ.」
妙な具合で否定する.
「彼女は異世界から来たのよ.神の影がないもの,それは確実よ.」
ライクシードは口をはさもうとしたが,少女は強く言う.
「だから異世界からカリヴァニア王国へ行って,そこから神聖公国へ来たのよ.」
頭の中の霧が,ふっと晴れた.
みゆは異世界の人間といつわったカリヴァニア王国の人間ではなく,カリヴァニア王国を経由してやって来た異世界の人間.
ずっと前者だと信じこんでいたが,後者の方がしっくりとくる.
彼女は以前,異世界での生活について話してくれた.
あれらがすべて作り話とは思えない.
しかしそうなると,なぜ彼女はこの国へ来たのだ?
「だからミユに,聖女になってください,その後でいいから結婚してくださいと頼めばいいの.」
子どもらしい無邪気な発言に,思わず笑ってしまう.
ある意味,真実かもしれない.
「結婚は,聖女のついでか.」
からかって言うと,少女は図星をさされたらしく,言葉に詰まる.
そして「兄さまの意地悪!」と,ぷんぷんと怒り出した.
馬蹄と車輪の音が遠ざかった後で,みゆとスミは岩陰から道に戻った.
「あの馬車は,大神殿へ行くようですね.」
「そうみたいね.」
みゆは帽子を脱いで,短くなった髪をかき上げる.
眼鏡をかけてから,帽子をかぶり直した.
首都の街は,誰にも見とがめられずに,簡単に脱出できた.
途中で兵士たちともすれちがったが,まったく気づかれなかった.
みゆの外見の特徴は,長い黒髪と,異世界では金持ちしか買うことのできない眼鏡.
それらを取り除くと,ひたすらに平凡だったらしい.
しかし問題は,ここからである.
大神殿のまわりには高い石壁がそびえ,門がきっちりと閉じている.
あそこに,どのようにして入るか.
スミが木に登って確認すると,大神殿は工事中だった.
建物の壁面に沿って足場が組まれて,大工がトントンカンカンと働いている.
大神殿は修繕工事中だと本に書かれていたことを,みゆは思い出した.
ならば工事関係者のふりをすれば,たやすく侵入できるだろう.
だがスミは,みゆの提案を却下した.
「すぐに部外者だと,ばれますよ.」
少年いわく,建物の規模に対して,作業員の数が少なすぎるのだ.
おそらく彼らは厳選されている.
知らない者が入れば,瞬時に気づいて排除するだろう.
みゆは腕を組んで,考え直した.
「いっそのこと,真正面から突撃しようか?」
門の前に仁王立ちして,「私の恋人を返しなさい!」とどなる.
とたんに捕まるだろうが,こそこそと忍びこむよりは気分がいい.
当然,スミは反対すると思ったのだが,
「それ,いいですね.」
なぜか賛同した.
「今のは冗談だったのだけど.」
「かっこいいですよ,ぜひやってください.」
いたずら小僧の顔で,少年はほほ笑んだ.
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