水底呼声 -suitei kosei-

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  2−6  

「やめて!」
みゆは殺しあう二人の間に飛びこんだ!
つもりだったが,二人の立ち位置がめまぐるしく変わるために,実際にはスミに抱きついてしまう.
「ミユさん!?」
少年は驚いて剣を投げ出し,みゆの下敷きになって倒れた.
「けがはないですか!?」
みゆを殺すつもりだろうに,心配そうに顔をのぞきこんでくる.
「殺し合いの場に入ってくるなんて,無茶はやめてください!」
妙なことに,本気で心配しているらしい.
すると後ろから手が伸びてきて,みゆはウィルに抱き上げられた.
「痛いところはない?」
こちらも心配そうな顔をしている.
「ない.――ごめんなさい.」
みゆを立たせると,ウィルは鋭い視線で身体をなでた.
真剣な表情に,そんな場合ではないのに,どきどきしてしまう.
「大丈夫そうだね.」
ウィルはみゆに向かってほほ笑んだ後で,
「スミ.僕は言ったよね,ミユちゃんに触ったら殺すよと.」
ふつふつと煮えたぎるような,怒りの声を出す.

「ふっ,不可抗力ですよ!」
座りこんだままで,スミは反論した.
「むしろミユさんが無傷なのを,ほめてください!」
いきなり抱きついてきたみゆを,抜き身の刃から守ったのはスミだ.
ウィルの怒りは,相当理不尽である.
すると,
「スミ君,王城へ帰って.」
ウィルに肩を抱かれたみゆが,話しかけてきた.
「それは聞けません.」
スミだって,本当は,
「私は神聖公国ラート・リナーゼへ行きますと,国王に伝えてほしいの.」
一瞬,言葉がすべて吹き飛んだ.
今,彼女は何と言った?
「神に会いに行きます,そしてカリヴァニア王国にかけた呪いを解いてもらいます.」
ウィルもびっくりしている.
スミは,黒猫の驚いた顔を初めて見たのかもしれない.
彼女の申し出は,あまりにも唐突すぎた.
「あなたが,王国を救うのですか?」
「そうよ.」
思いつめた顔で,みゆがうなずく.
その瞬間,スミは悟った.
彼女は,守る女性なのだ.
王宮でメイドのツィムや,テア準近衛兵をかばったように.
漆黒の瞳が水面に映る月のように揺らいでいても,確かな光を放つ.
自分一人が助かることを潔しとせずに,安易な自己犠牲にも流されずに.
呪われた王国に,清涼な音色を響かせる.
けれど,
「無理ですよ,ミユさん.」
できるだけ彼女を傷つけないしゃべり方で,スミは説明を始める.
「神聖公国へは行けません.あの山は越えられないのです.」
カリヴァニア王国北端の山脈は,真実,世界の果てなのだ.
神聖公国からカリヴァニア王国へ来ることはできても,逆は不可能である.
神の大地を追放された罪人は,けっして故郷へ帰れない.
「それに追っ手は俺だけじゃありません.カイル師匠が精鋭部隊を引き連れてやってきます.」
儀式をやり直すために,みゆを捕らえ殺すために.
いくらウィルが強くても,彼女を守りつつ彼らを退けることは難しいだろう.
「スミ,」
今まで黙って聞いていたウィルが,口をはさんだ.
「城に帰りなよ.ミユちゃんは僕が神聖公国へ連れていく.」
「先輩まで何を言っているのですか!?」
しかしウィルの顔は,まじめそのもの.
「邪魔をするなら,スミもカイル師匠も殺す.何十人追っ手が来ても,彼女は守ってみせる.」
堂々と宣言するウィルに,スミは開いた口がふさがらなかった.
しかもスミは,ウィルに殺される人間のリストに名前が挙がっている.
愛する彼女のためならば,スミなんて虫けらのように簡単に殺すのかもしれない.
「ウィル,」
そばにいるスミのことは眼中にないのか,みゆとウィルは熱く見つめ合う.
スミとしては,「俺もいるのですけど.」と声をかけたい気分だ.
「お願いがあるの,私のわがままなお願いだけど,」
だが真剣な顔のみゆのために,スミは傍観者に徹する.
もともと,この二人のいちゃいちゃは見慣れている.
「もう,人を殺さないで.」
かすかに,彼女の声が震えた.
「追っ手が来るのは分かっている,けれど,」
彼女の気持ちを察して,スミは心を痛める.
ウィルの表情は平坦で,何を考えているのか読ませなかった.
「私はウィルに人殺しをしてほしくない.“殺す”なんて言葉を,簡単に口にしてほしくない.」
みゆは,泣き出しそうな顔で請う.
「そんなことで過去の罪が償えるとは思わない.でも……!」
「君が望むなら.」
あっけなく,黒猫は了承した.
「自力で動けない程度に痛みつけて,足止めさせておくよ.」
しかし,にこやかな笑顔で告げる内容はえぐい.
「とりあえず,今からスミをね.」
「ちょっと待ってくださいよ!」
話が自分のところへ戻ってきて,スミは仰天した.
「俺,俺は……,」
ウィルを殺し,みゆを城へ連れ帰る.
それらが,スミの使命だ.
なのに,――これでは,どちらも果たせそうにない.
ウィルとの戦闘能力の差のせいではなく,自分自身の心のせいで.
「ミユさん.」
スミは座りこんだままで,彼女の顔を見上げた.
もう立てない,そして一人で立つ必要もない.
「助けてください.でないと俺,ウィル先輩に両足のけんを切られてしまいます.」
「え?」
話を振られて,みゆは驚いてスミを見つめ返す.
「あなたが先輩にお願いするだけでいいのです,先輩はあなたの言うことを必ず聞きますから.」
笑顔を作ると,なぜか本当にスミは楽しくなってきた.
「俺も仲間に入れてください,一緒に神聖公国を目指しましょう.」
誰も行ったことのない,神に祝福された国へ.
彼女ならば,光の先へ導いてくれるような気がした.

カリヴァニア王国王都,この都は名前を持たない.
建国当初には名前があったのだが,人々が外の世界を忘れるとともに,忘れ去られてしまった.
王国と言えばこの王国しか存在せず,都と言えばこの都しか存在しないのだから.
せまい世界で生きる人々は,自分たちの世界がせまいことに気づかない.
閉ざされた世界のせまさを唯一知るカイルは,国王の執務室で主君に出立の意を伝えていた.
「ウィルを殺します.今度は止めないでください.」
国王は沈痛な面持ちで,うなずく.
そもそも彼の哀れみが,黒猫に裏切りの機会を与えたのだ.
「分かっている,あの子は王国を裏切った.」
いけにえの娘を連れて,すべての者をあざむいて逃亡した.
「ウィルは北方地方に逃げました.」
すでに黒猫の足取りは,スミやそのほかの先発隊の報告からつかんでいる.
「しかし王国からは出られません.必ず捕らえてみせます.」
ウィルも,逃げても無駄だと理解しているはずだ.
せまい王国内での追いかけっこが,長く続くわけがない.
ましてや,足手まといになるいけにえを連れているのに.
もしもウィルが,故郷の神聖公国へ帰ろうとしても帰れない.
世界の壁が立ちふさがっているのだ.
誰も,神聖公国へ入れない.
たとえ少年が特別な血を持っていても,神の意思に逆らうことはできない.
カリヴァニア王国は呪われている.
だからカイルは,ウィルをこの王国に連れてきた.
けがれた存在にふさわしい場所に.
けっして幸福な人生を送らないために.
世界中の誰よりも,呪われよと――.
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