心の瞳


第十四章 帰還


エンデ王国,その豪奢な王城に今少年は居た.
暗い紺の髪,澄んだ群青の瞳,その瞳は少年のもとを去っていった少女のことを想っていた.
その少年を心配そうに見つめるものたちが居る.
第4騎士団団長ラオ,その副官テディ,そして第7騎士団副官カイジンである.
彼らは王の呼び出しを受けて,今ここにいるのだ.
しかし肝心の王は彼らを呼び寄せたまま,なんの命令も出さなかった…….

少女が居なくなったとテディとラオが少年に告げたとき,少年はなぜか腑に落ちたような表情をした.
ラオが問いただすと,少年は悲しげにうつむいて答えた.
「実はミドリに結婚を申し込んだんだ…….そのとき困ったような顔をしていたから,きっと私は振られたのだと思う…….」
ラオとテディは驚いた顔を見合わせた.
そんな……,まさかごめんなさいってそうゆう意味だったのか……?
彼らは納得できなかった.

「ミドリがシュリとかいうやつと一緒に居なくなったのは,絶対何か理由がありますよ!」
テディが息をまいて上官に訴えた.
少女の明るい笑顔が脳裏によぎる.
少女の世界はいつも紺色の少年を中心に廻っていた.
「しかし…….」
ラオは困惑して答える.
するとカイジンが口を挟む.
「私もミドリが自分の意志で殿下と離れるとは思えないですな.」
彼らに言われるまでもなく,ラオにも分かっている.
仲むつまじい恋人たちを,この旅の間ずっと見守ってきたのだから.

「あの……,」
不意に声を掛けられて,彼らは会話を辞めてさっと振り返った.
城の侍従がしゃちほこばって,彼らの視線に答えた.
「へ,陛下がお呼びです.すぐに謁見室までお越しください!」

謁見室ではすでに多くの貴族たちが彼らを待ち構えていた.
扉を開けると一斉に非好意的な視線で,紫紺の瞳の少年たちを見る.
しかし少年はまったくそれには気づかないようだった.
少年の注意はただ父親一人に向けられていた.

なぜだろう,いつも感じていた圧迫感が今は無いような気がする.
いつもどおり父王の前にひざまづきながら,少年は不思議に思った.
「第2王子ガロードよ.そなたに命ずる…….」
そのとき少年は父の声ではなく,意志の強い漆黒の瞳の少女の声を聞いたように思った.
……しっかりしなさい!

「今すぐ第7騎士団を率いてレニベス王国へ赴くのだ.」
……父親の言いなりにばかりなっているな! おきろ,ガロード!
少年はその群青の瞳をまっすぐに父親に向けた.
霧が晴れ渡ったように,自分を取り巻く世界がはっきりと見える.
父親は少年の視線に驚いた顔を向けていた.
「……それは,いやです.父上,お断りします.」
謁見室にいるものすべてが驚き,視線を紺色の髪の少年に集中させた.
「私はもうあなたには従いません.」

「殿下…….」
少年のすぐ後ろに控えているラオが,驚きそして心配した声を上げた.
しかし少年は振り向かずに,彼の父親と静かに対峙していた.
そう,少年には振り向く必要などないのだ.
振り向いて確認などしなくても,少年を案ずるラオの,テディの,カイジンの視線を感じる.
そしてこの場にはいなくても,いつも少年のことを想っている少女の存在を感じる.

……父親のことより,もっと私のことを考えてよ.ラオのことでもいい,第7騎士団の皆のことでもいいから.
そして軽く微笑み,はっきりと宣言する.
「そして,もうあなたから逃げません.」
……もう逃げないってことは,いつか王様になるぞってことよね?
「しかし王位もいりません.そんな孤独な玉座など私には必要ありません.」
貴族たちはいよいよざわめき立ち,王は顔の色を変えて少年を見つめた.
「自分が何を言っているのか分かっているのか? ガロード.」

そのとき貴族たちの群れの中から,軽やかな笑い声が聞こえた.
「言うようになったね,ガロード.王の魔法が解けたのかな?」
明るい茶色の髪を優美に結わえた長身の若者である.
少年は驚いて,その紫紺の瞳を見開く.
「ついでにその背中の長剣で,王に切りかかったらどうだい?」
「そうしたら,玉座は君のものだ.」

「そのものを捕らえよ! 我がエンデ王国の裏切り者だ!」
王が兵士たちに命令を下す.
いまいち事情が飲み込めずに,だが兵士たちは命令に従った.
しかし青年の刃が閃くほうが,一瞬も二瞬も速かった.
ただ一閃で数人の兵士たちが倒れる,そしてそのまま彼は王に向かって突進した.
「ユウリ叔父上!」
しかしその進路を阻むべく,背中に背負った剣を抜いた少年が青年の前に立ちふさがる.

刃を合わせ,ユウリは軽く驚いたように少年を見つめる.
「なぜだい,ガロード?」
叔父の変幻自在の剣先になんとか対抗しつつ,少年は答えない.
「なぜ兄上をかばって,私と剣を合わすのだ?」
この少年が産まれたときから,自分の息子のようにかわいがってきた.
少年の瞳に閃光が走る.
「それはあなたも父上も,私にとって大切な肉親だからですよ!」

今度こそ驚いた顔を青年はみせた.
「しかし,私に勝てると思うかい?」
少年は青年の猛攻にかろうじて耐えているにすぎない.
しかし,その瞳には光が宿っている.
「私ひとりでは無理です,叔父上.……ラオ!」

鮮やかな鮮血が飛び散り,少年の叔父は少年に向かって前のめりに倒れこむ.
二人の間に入り込む余地をずっと窺っていたラオが,ユウリの背中をその大剣で切ったのだ!
「叔父上!」
少年は心配そうに倒れかかってくる青年を支える.
「大丈夫です,殿下.急所ははずしてありますから…….」
と言って,ラオは懐から妻からもらった赤い魔法札を取り出す.
しかしその瞬間,ラオは瞳を凍らせる.
「殿下,後ろ!」

とっさに少年は振り向いて,落ちかかってくる剣の斬激を受け止めた.
「父上!?」
「ガロードよ…….」
少年は目をみはる,彼は初めて父王の必死の形相を見たのだ.
「なぜ私に逆らえるのだ? お前には特別強く呪いをかけたというのに…….」
少年はまっすぐに父を見つめて答えた.
「それは……,」
……私,ガロードが好きなの,すごく好きなの…….
「ミドリが私を愛してくれたからですよ!」
少年は力ずくで王の剣を押しやった.

少年に押しやられた王は,狂ったように笑った.
「まさか,まさかお前にそんなことを言われるとはな!」
王の瞳には,ただ何も無い暗闇が映っていた.
「お前が……,お前さえ,産まれなければ…….」
そうして少年に向かって咆哮する.
「私はずっとアシュランを愛していられたのだ! 風よ,悪しきものを追い払え!」
「うわっ.」
少年の華奢な身体は勢い良く,後ろへ吹き飛ばされた.
しかし,その身体はすぐに抱きとめられる.
「カイジン!」
少年は彼の身体をしっかりと抱きとめた老人を見上げた.

「衛兵たちよ,この者どもを捕らえろ!」
王が兵士に命令を発する.しかし兵士たちは動けなかった.
この国のもので,紺の髪の少年の強さを知らないものなどいない.
この少年に剣を向けるなどできるはずもない!

「父上!」
少年が紫紺の瞳でまっすぐに父王を射抜く.
「父上は,ずっと母上を愛していたのでしょう!」
驚く周囲には構わず少年は叫ぶ.
「だから魔族を全滅させよと私に命令をしたんだ!」
少年は知っていたのだ.
少年の母は噂されるように,父に殺されたのではない.
異世界転移装置を壊し,魔族の怒りにさらされた父をかばって死んだのだ.
美しい純白の羽を真っ赤に散らして…….

「言いたいことはそれだけか,ガロード.」
昏い瞳で見据えられて少年は竦む.
「この化け物が!」
猛然と襲い掛かってくる父親に,少年は自らの剣に頼るように必死に耐えた.
ラオもカイジンもテディも,手を出すことができない.
がきぃん!
ついに鈍い音を立てて,少年の剣は折れてしまう.

「終わりだ! ガロード!」
少年は落ちかかってくる刃を見つめた.
その瞬間,父親のその厚い胸から刃の切っ先が飛び出してきた.
真っ赤な血が,少年に降りかかる.

「叔父上…….」
少年は紫紺の瞳をみはって,父親を後ろから突き刺した叔父を見つめた.
叔父はその突き刺した剣を掴みながら,そのままずるずると床へ倒れこむ.
「ガロード,無事だな……?」
その微笑みはいつもと変わらない.
しかしその瞬間,口から大量の血液を吐く.
「叔父上!?」
少年は驚いた声を上げた.
「ガロード,やはり魔法が解けたのだな.」
青年はほっとしたように微笑む.
血の気の引いた顔は,しかし返り血で真っ赤に染まっていた.
「兄上は,王は私とガロードに自分が死んだときに一緒に死んでしまうようにも魔法をかけていたんだよ.」
そして,くすくすと軽やかに忍び笑う.
「兄上らしい念の入れようだ.心配性でまじめで,堅物で……頑固で…….」

そしてそのまま瞳を閉じて,青年は永遠の沈黙を手に入れた…….

少年はただ呆然と,二つの死体を見つめた.
彼は,これで肉親をすべて失ってしまったのだ.
6年前母親が死んで盛大に泣いた後,もう二度と涙は出てこなかった.
しかし,今この瞳から溢れ出してくるものは何だろう.

どさどさどさ……!
いきなり謁見室に居た貴族たちが皆,申し合わせたように倒れた.
「なんだ!?」
ラオがびっくりして叫んだ,彼らは皆,眠っているようだ.
するといきなり背後から声をかけられる.

「王の魔法が解けたからだよ,やつらは眠っているだけさ.」
空色の髪をした少年がそこには居た.
「シュリ!?」
ラオは少年の名を呼んだ.

ガロードはのろのろと顔を上げ,シュリを見つめた.
「ガロード,ミドリは返すよ.」
血にまみれ涙に汚れた少年は驚いた顔で,シュリを見つめた.
シュリはあきらめたように笑った.
「だってさミドリのやつ,元気無くてどんどんやせてっちゃうし,母さんはミドリを帰せって怒るし……,」
「今,月の砂漠に返したから,迎えに行ってこいよ.」
そうしていたずらっぽく,しかし寂しそうに微笑む.
「ミドリとガロードの再会シーンなんて見たくないから…….これで勘弁な!」

言いたいことだけを言って,空色の少年は消えてしまった.
紺色の少年はまだ思考が働かないのか,少年が消えた場所をただぼんやりと眺めた.
いまだ呆けている少年にラオは大またで近寄った.
そして乱暴に少年の汚れた顔を,自らのマントで拭う.
「殿下.」
ラオはまっすぐに彼の主君の顔を覗き込んだ.
「ミドリ様を迎えに行ってください.」
そうして優しく微笑む.
「私たちには殿下が必要ですけど,殿下にはミドリ様が必要でしょう?」

見渡す限り,地平線には砂しか見えない.
空には,星ぼしがまるで競い合うかのように輝きあっている.

その砂漠の中を一人,少女が歩いていた.
いつか,少年と一緒にこうやって夜の砂漠を歩いた…….

いつか……,いつか,必ず故郷に帰してあげるよ.
もう,いいよ.
私の帰る家は,ガロードの居るところだから…….

「ミドリ!」
そのとき,少女の名を呼ぶ少年の声が聞こえた.
初めて出会ったとき,少年は変声期特有の嗄れた声をしていた…….しかし今ではすっかり男の声だ.
「ガロード!」
少年は血で汚れてぼろぼろの姿をしていた.額には軽く汗が浮かんでいる.
少女はそれには構わず,少年をしっかりと抱きしめた.

「ミドリ…….」
少年はやさしく少女の髪を撫でた.
少女は少年の瞳から涙が零れ落ちそうになっているのを見つめた.
「ミドリ,……父上と叔父上が死んだんだ.」
少女は瞳を見開いただけで,その衝撃に静かに耐えた.
そうしてむりやり微笑んでみせる.
「私はずっとそばに居るわ…….」
少年はきつく少女を抱きしめた.
「なら,一緒に帰ろう…….」
もう,君を決して離しはしない…….

エンデ王国暦871年.
若干16歳の若さでガロード王が即位する.
賢王として歴史に名高い彼はまた,生涯一人の妻しか愛さなかったことでも有名であった…….

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