エンデ王国内を東西に伸びる街道を今,他国の軍が占領していた.
国境から侵攻してきたレニベス王国軍である.
彼らは西にある王都を目指して行軍を続けていた…….
それらの隊列を遠目に眺めている男がいる.
燃えるような真っ赤な髪,日に焼けた素肌を持つ第4騎士団団長ラオである.
「ずいぶんと警戒していますね.」
彼の隣に立った,こげ茶色の髪を持つ小柄な青年が言った.
彼の副官のテディである.
ラオは視線を軍隊から逸らさずに答えた.
「あぁ,狙い通りだな…….」
ラオはすでに3度,第4騎士団を率いてレニベス軍を襲っていた.
3度とも徹底して敵の糧食部隊だけを襲い,まともには戦わずにすぐに逃げている.
その度重なる襲撃で,レニベス軍はだいぶ食糧を失ったはずだ.
ラオの脳裏に聡明だが悲しげな少女の声がよみがえる.
「徹底的に糧食部隊だけを襲ってください.それで敵の指揮官が賢明な人ならば,きっと軍を退いてくれるでしょう.」
「古来から飢えた軍が勝つことはありえません.もしもそれで帰ってくれないのならば,彼らが糧食部隊に注意を向けている隙をついて……,」
「そろそろ本隊を叩くか…….」
ラオの瞳に好戦的な閃光が映る.
「テディ,殿下もどきにそう報せてくれ.」
ラオは彼の忠実な副官にだけは,ガロードが偽者であることを教えていた.
「敵襲! 敵襲だ!」
「また糧食部隊を狙ってやってきたぞ!」
レニベス軍がにわかに騒がしくなる.
もう残りの糧食も少ない,彼らの必死の応戦をエンデ王国軍第4騎士団は受けた.
先頭に立つラオが怒鳴る.
「まともに相手にするな! 少しずつ退いていけ!」
その瞬間,レニベス軍本隊付近で炎が舞い上がるのをラオは視界に認めた…….
「われの前に立ちふさがる者どもを焼き払え,炎よ!」
紺の髪の少年がまっすぐにレニベス軍本体に突撃をしかけた.
少年が率いるのはエンデ王国の精鋭部隊である第7騎士団だ.
「よっしゃあ,行くぜ! みんな,ついて来い!」
少年の指揮に従いながら,彼らは戸惑いを隠せない.
彼らの主君はしばらく会わなかった間にずいぶん下品に,いやいや元気良くなられたようだ…….
しかし攻撃を受けたレニベス軍本隊では戸惑うどころの騒ぎではない.
第2王子フェノールは真っ青な顔で,エンデ王国の裏切り者であるユウリに詰め寄った.
「おい! 王子が居るじゃないか!?」
しかし側でたたずむ青年は平然として答えた.
「本物ならもっと強いですよ.あれは偽物でしょう.」
しかし本物だろうが偽物だろうが,今攻撃を受けていることには変わりない.
フェノールは何もしようとしない青年をにらむと,部下にわめきながら命令を下した.
「応戦しろ! あれは王子ガロードだ! 捕まえたら褒美は思いのままだぞ!」
そのとき戦場に純白の羽が舞い落ちてきた.
「なんだ,これは!?」
戸惑うレニベス軍に対して,エンデ軍の兵士たちは皆心得たように空を見上げた.
純白に輝く白鳥が戦場の上を,優雅に羽ばたいていた.
上空を飛ぶ白鳥から,一人の金に輝く少年が戦場へと落ちてくる.
少年はレニベス軍本隊のど真ん中に着地すると,
「我,ガロード・ルミネクス・ザイオン・エンデの名において命じる.大地よ!」
少年の周りで大地が盛り上がり,幾人もの兵士たちが飲み込まれる!
「ガロード殿下!」
「白鳥の騎士!」
エンデ王国の兵,騎士たちが熱狂的な歓声を上げた.
それらの声に応えるように振り返った少年の瞳の色は紫紺,髪の色は紺.
兵士たちの信望を集める異相の王子.
「あ〜あ,ガロード,来ちゃったのか…….」
シュリは水色に輝く髪をぼりぼり掻いてぼやいた.
すると側にいた兵士たちが驚いた顔で少年を見つめる.
彼らが言葉を発するより先に,シュリは呪文を唱えた.
「ごめんね,騙していて.phase transition World of asymmetry!」
少年はその髪の色のまま,空へと溶け込んで消えてしまった.
戦場の上空を旋回しながら,水鳥は目的の人物を探した.
明るい茶色の髪,優美な長身の男性を…….
彼はじっと空を駆ける少女を見つめていた.
「ユウリさん!」
白鳥は青年の前に降り立ち,その姿を漆黒の少女へと変化させた.
青年の周りのレニベス軍の兵たちが驚いた声を上げる.
それに構わず少女はまっすぐに青年を見つめた.
「ユウリさん,なぜ他国の軍を引き入れて戦争を起こしたのですか?」
詰問する少女に柔らかく微笑んで,青年は答えた.
「君よりもガロードよりも,ただアシュランだけを愛していたからだよ.」
少女の瞳に閃光が走る.
「そんな私情,私怨で軍隊を連れてきたと言うの!? あなた一人のために,いったい何人の人が犠牲になると思っているのよ!」
しかし青年はいっそやさしく,少女に諭すように言った.
「ミドリ,君がガロードの妻になるというのなら憶えておきなさい.」
「戦争はいつでも個人の欲によって始まるんだよ.」
しかし少女は負けじと青年をにらむ.
「たとえそうだとしても,私は戦争を起こしたあなたを許さない!」
さらに青年が何か言い返そうとすると,
「ユウリ叔父上ーーーー!」
長い紺の髪をなびかせて,少年が青年に向かって一直線にやってきた.
青年はやさしく少女を後ろへ押しやると,少年に向かった.
「我に力を与えたまえ.出でよ,氷の刃!」
青年の手に,青白く輝く細身の剣が握られる.
がきぃ……ん
少年の長剣と青年の剣が激突する.
そのまま言葉も無く,ただ打ち合う.
「ガロード!」
少女は青い顔でその戦いを見守る.
するといきなり後ろから両肩をつかまれた.
「なんだ,お前は? エンデの王族か?」
振り向くと,野卑なレニベス軍の兵士が少女を捕まえていた.
しかし彼はそれ以上,少女を捕まえていることができなかった.
横から矢が飛んできて,兵士の頭に突き刺さったのだ.
倒れる兵士から目をそむけ,少女は矢を撃った青年を発見した.
「テディ!」
第2射を番えながら,青年は答えた.
「ミドリ,早くこっちに来て.」
次の瞬間,青年は少女を捕まえようとしたまた別の兵士を撃ち殺した.
激しい打ち合いで,呪文を唱える余裕が無い.
ガロードは激しく息をつきながら,自らの叔父と斬りあっていた.
「大地よ,我が意に従え!」
すると少年の足元の地面が揺れだす.
「うわっ.」
その隙を叔父は見逃さない.
上から振り下ろされた剣を,少年はかろうじて受け止めた.
「叔父上…….」
ぜいぜいとあえぎながら,少年は言った.
「私は叔父上がいつかエンデを裏切ることを分かっていたのかもしれません…….」
青年は意外そうに瞳を見開く.
「それはなぜ? ガロード.」
教え子の解答を促すかのように,ユウリは訊ねた.
「母上がそう言ったのです.」
少年の瞳に閃光が走る.
「ユウリはいつかバルを裏切るかもしれないって!」
少年は力ずくで青年の剣を押し返した.
少年の言葉,力,どちらに驚いたのかそれとも両方か,青年は驚いて少年を見返した.
そしてくすくすと笑う.
「かなわないな,アシュランには…….」
そうして少年の視線の先で,青年の輪郭はどんどんと薄れてゆく.
「叔父上!」
青年の姿が完全に消えてなくなったとき,すでに戦闘は終わりを迎えていた.
ラオ将軍に囚われたレニベス王国第二王子フェノールは,作戦の立案者だという少女に引き合わされた.
漆黒の髪,漆黒の瞳を持つ少女はいっそ悲しげな様子でフェノールに相対した.
「私の名は水鳥です.フェノール王子,逃がしてあげますから軍をまとめてレニベス王国へ帰ってください.」
フェノールは耳を疑った.何を言っているのだ,この少女は.
「あなたも軍の指揮官ならば,兵士たちを無事に故郷へ帰す義務があるはず…….糧食が足りなければ渡しますから,国へ帰ってください.」
フェノールはひきつった笑いを,自分の娘ほどの年齢差のある少女に見せた.
「何,おめでたいことを言っているのだ? そんなことをしたら私はまたすぐに再戦を挑むぞ!」
すると少女は泣きそうな瞳で言い返した.
「それで勝てると思っているのですか!?」
すると少女の後ろに控えていた,ラオが口を開いた.
「フェノール殿,何度再戦しても彼女には勝てませんよ.」
敵兵の心配までする少女と勝つことしか考えられないフェノールでは,統率者としての器が違いすぎる.
「元第一王子のフィローンがなぜ我が軍にやられたか,ご存知でしょう?」
フェノールの脳裏を驚愕が駆け巡る.
妖艶な霧の国の美女……,噂は真実の一部だったのだ.
フェノールはがっくりと肩を落とした.
夕闇の中で,王子フェノールは一人東へと逃げていった.
それを眺めながら,少女はそばに佇む紫紺の瞳の少年を見やった.
先ほどの戦闘で無理をしたせいか,少し青い顔をしている…….
「ガロード殿下.」
少女が声をかけるより先に,初老の兵士が少年に呼びかけた.
白髪交じりの,第7騎士団では最年長の部類に入る老人である.
第7騎士団,副官のカイジンであった.
「殿下,怪我をなさっておいででしょう.」
すると少年はまるで叱られたかのように,瞳を伏せて答えた.
「すまない,面倒をかけて…….」
すると老人はあきれたように,そして優しく微笑んで言った.
「誰も怒ってなどおりません.皆,心配しているだけです.」
その光景を眺めてから,水鳥はそっとその場を離れた.
テディが去り行く少女に声を掛ける.
「ミドリ,どこへ行くの?」
しかし少女は答えずに去ってゆく.
怪訝に思った青年は,そっと少女の後をついて行った.
「結局来なかったな.」
ラオは隣にいるはずの副官に向かって話しかけた.
王がガロードに刺客を放つだろうと考えていたのに,結局何事も起こらずに戦闘は終わってしまった.
「国王陛下は何を考えていらっしゃるのだろうか……?」
返事がないのに不信に思ったラオが隣を見ると,副官の姿は消えていた.
地面が淡く,真珠色に輝いている.
もう,この少女には見慣れた色なのかもしれない…….
これは世界を渡るときの光.
「さぁ,ミドリ.行こう…….」
空色の髪の少年の手を取り,少女は光の中へと踏み出した.
と,そのとき,いきなり後ろから少女たちは呼び止められた.
「ミドリ! ……とシュリ! 何をやっているんだ!?」
小柄な体のくせっ毛の青年が,驚いた瞳をこちらへと向けている.
一瞬,少女はその声がガロードのものではないことにほっとしたのか,がっかりしたのか分からない気持ちになった.
「テディ…….ごめんなさい.」
「ごめんなさい.ガロードにごめんなさいって伝えて……それから……,」
しかし言い終えないうちに,少女はそのまま光の中へと消えてしまった…….
後に残された青年は呆然と立ちすくんだ.
少女の姿はどこにも見当たらない…….
「そんな…….そんなこと言えるわけがないじゃないか…….」