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魔術学院マイナーデ

魔術学院02

ベッドの中,息苦しさに目が覚める.
しかし重い体は言うことを聞かずに,再び眠りに落ちてしまう.
それを何度か繰り返すうちに,金の髪の少年は自分の手を握る者の存在に気づいた.

物心がつく前までは,それは母の手だったように思える.
この学院に来てからは,優しく暖かな祖母の手.
そして,今は,
「サリナ.」
柔らかくて,小さな手.
「ライム?」
薄茶色の髪の少女は,驚いたように瞬きをした.
「体,大丈夫?」
少女は,少年を労わるように訊ねる.
その眼差しは,祖母や母のように慈愛に満ちていた.

「あぁ…….」
まだふらふらとする頭を抱えて,少年は起き上がる.
部屋の中が薄暗い,もう時刻は夕方だ.
「駄目だよ,寝てなくちゃ.」
ベッドに押し戻そうとする少女の体を抱き寄せて,少年はなんとなく安心した気持ちになる.
「あの,……学院長様が,後は任せて安心して休んでいなさいって,」
軽く胸を押して,少女が離してほしいと意思表示をする.
「お水,飲む? 水差しをもらってこようか?」
「別にいい.」
少女を腕の中に閉じ込めて,けれど少年はため息を吐いた.

自分で自分が情けない.
あんな簡単な罠に,はまってしまうとは.

しかも麻薬のせいとは言え,大切な少女を裏切ってしまうところだった.
「サリナ,ごめんな.」
そっと囁くと,少女は不思議そうに少年の顔を覗き込んでくる.
「何が?」
「……いや,何でもない.」
こつんと額と額をぶつけて,少年はくすっと微笑んだ.

少女があんな風に笑うはずが無いのに.
少女はいつも瞳に暖かな光を湛えて,こぼれるように笑うのだ.

「しまった! 見失った!」
夕暮れの中庭で,男はいらただし気に校舎の壁を叩く.
アデル王子を追いかけていた,ダグラス教官である.
「土の器よ,人の子の叡知よ,」
ダグラスのすぐ隣で,同僚のトゥールが失せ人探しの魔法の呪文を唱え始める.

アデル王子は,想像以上の武術の使い手だった.
戦い,わざと逃がし追いかけて,再び戦ってはまた逃がす.
そのようにして学院の外へ誘導するつもりだったのだが,なかなかうまくいかない.
殺せという命令ならば簡単に実行できただろうが,彼らは王子を逃がしたいのだ.

「ダグラス様! 王子は校舎の方には居ません!」
イースト家の使用人の男が,息を切らせながらやってくる.
アデル王子との追いかけっこに,イースト家の使用人たちも参加しているのだ.
「分かった,ありがとう.」
ダグラスはねぎらいの言葉をかけ,次は寄宿舎方面の捜索を頼む.
「見つけたら,すぐに笛を吹いて知らせてくれ!」
使用人たちでは,アデル王子の足止めにさえならない.
たった16歳の少年とは思えない戦闘力,ほぼ単身でマイナーデ学院に乗り込んできただけはある.

「エイダ王女は学院の外に部下たちと隠れています,しかしアデル王子はまだ学院の中に……,」
召使たちの報告に,学院長のコウスイは立ち上がった.
「私も捜索に加わろう.」
孫の部屋で,のんびりと事態の推移を見守っている場合ではない.
万が一,図書室などに忍び込まれて魔術書や事典を盗まれたら一大事だ.
「私も戦います.」
もう一人の初老の男も立ち上がる.
マイナーデ学院の教官ラティンである.
「手伝います.」
すぐに部屋を出て行こうとする老人二人を,薄水色の髪の青年スーズが追いかける.
「お気をつけて……,」
ルッカが声をかけると青年だけが振り返り,にこりと優しい笑顔を見せた.

王子一人に,ここまで難儀するとは考えてもいなかった.
本来の策では,ライムが彼らを学院の外まで案内する予定だったのだが…….

「アデル,早く来て……,」
マイナーデ学院の外門の外,南から差し迫る森の縁に少女は従者たちとともに隠れていた.
学院の南には深い森が広がっており,その森の中に馬車と馬を隠している.
後は双子の弟さえ来れば,すぐに逃げられる.
少女は,どうしても違和感が拭い切れなかった.
弟はライゼリートの声を聞いたというが,ライゼリートは麻薬に侵されていたはずだ.
お茶を一口しか飲んでいなかったとしても,回復が早すぎないか.
それとも,ライゼリートも麻薬には慣れているのだろうか.
いや,そんなことよりも,魔法による国境越えなど正気の沙汰とは思えない.

「嫌な感じがするの.」
弟は確かに頭がいいが,その分,何が基本的なことを見落としてはいないだろうか?
「アデル……,」
闇が濃くなっていく森の中,少女の不安に答えてくれる者は居ない.
いつも側にいてくれる双子の弟はまだ,学院の中に居る.
そう,エイダには分かる.
アデルは今,男子寄宿舎の中だ.

闇にほのかに光る,少年の金の髪.
自分の膝の上で眠る少年の頭をなでながら,サリナはただ恋人の寝顔を見つめていた.
顔色もだいぶよくなったし,寝息が乱れることも無くなった.
この調子でいくと,明日の朝には全快しているだろう.
少年の額にそっとキスをすると,コンコンと静かにドアをノックする音がする.
誰だろう? 少女はなんら疑問に思うところ無く立ち上がった.
きちんと布団を少年の体にかけてから,ドアの方へ向かう.

ドアを開くと,真っ青な顔をしたルッカと目が合った.
「え?」
「騒ぐな.」
少女は,ひゅうと息を飲む.
見知らぬ少年が,ルッカの首筋に真剣の刃を当てていた…….
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