【しろがね】リライト作品

  汚泥の花  

 どこの国かいつの時代か、その村には奇妙な習わしがありました。
 何十年かに一度生まれる“白い子供”。雪のような肌に、銀に輝く髪。そして、玄妙なる薄紅の瞳。黒の髪、黒の瞳しか持たない人々の中にあって、その姿はまさに神の御子でした。
 けれど子供は、地上に長く留まることができません。短い生の中で、村をきよめるのです。それは、村の大切な決まりごとでした。
 そんな村に、ひとりの行商人がやって来ます。山々の深い緑を越えて、訪れる者のいない村に。

「この子供を頼む」
 そう言って差し出された子供は、すっかりと青ざめて冷たくなっていました。ぼろをまとう体も、がりがりにやせています。銀色の髪もひどく汚れて、行商人は思わずひるみました。
「死んでいるのではないか?」
 汚臭さえも、子供は漂わせていました。
「薬で、こうなっているだけだ」
 暗いほこらの中で、もの珍しい黒い肌の男が言いました。
「だが、このまま放っておけば危ない」
 男は黒曜石の瞳を、遠くほこらの外へ向けます。誰か村人が気づいて、このほこらまでやって来ないかと。
「なるべくはやく、体を温めてやってくれ。そうすれば息を吹き返す」
 男の懇願に、行商人はたずねました。
「おまえは、ともに逃げないのか?」
「俺は行けない」
 苦しげに、男は言います。
「務めがある。この村を出ることはかなわぬ」
 男は、腕の中の子供を愛おしげに抱きしめました。男の長い髪が、白い子供に黒のまだら模様をつけます。そして男は、子供を行商人に押しつけて、せき立てました。
「行ってくれ、はやく! 村人たちが気づく」
 行商人は白い子供を抱いて、ほこらから飛び出します。
 新月の夜、月さえも行商人を見送りません。やみの中、子供だけが白く輝いていました。土のついた銀の髪も、欲望のしずくが塗りこめられた肌も、これ以上はなくけがれているのに。
 ああ、この子供はなんと美しいのでしょう。
 夜ごとに村の男たちに犯されて、命はかない神の御子。逃げられぬように、足を切られて。こぶができて死ぬのか、斑点ができて死ぬのか、気が狂いみずから崖へ飛びこむのか。いずれにせよ、神の御子は汚物にまみれて、みじめな生を終えます。
 そして、これが村のけがれを払うことだと、村の繁栄に必要なことだと、村人たちは笑うのです。我が子を返してほしいと、泣き叫ぶ母親を足蹴にして。
 そんなあわれな子供に寄り添うのは、子供と同じく異相を持つ黒い男です。白い肌以上に目立つ、黒い肌。子供と対になるように生まれ、誰からもさげすまれて生きるのです。男は、神の御子の従僕。自分よりも一回りも二回りも幼い子供に、こうべを垂れるのです。
 けれど御子と従僕のきずなは今、たたれました。黒い男の手によって、白い子供はいまわしき村から放たれました。
 子供を逃がした男は、村人たちにひどく罰せられるでしょう。生きて会うことは二度とないと、行商人は思いました。それは男も覚悟していたことでした。
「神の御子を失えば、村はほろぶ。俺はそれを見届けねばならぬ」
 やみ夜の瞳で、そう告げました。
 行商人は明かりを持たずに、夜の山を走ります。木々の間を抜けて、日の光が行商人の道を照らしたとき。体を温められて息を吹き返した子供は、村での記憶をすっかりとなくしていました。

「おや、カイちゃん。どこへ行くね」
 宿の女将が声をかけました。カイと呼ばれた子供は振り返ります。
「父さんがそろそろ帰ってくるから、迎えに行く」
 年のころは十程度でしょうか、粗末な服をまとっても、どこかしら品のある子供です。この国ではめったに見ない色あいの瞳が、印象的です。カイという男名を持つ、不思議な少女でした。
「外は危ないよ。まだ日もあるし、ここで待っておいで」
 女将は気遣わしげに言いました。けれどカイは、大丈夫だよとほほ笑みます。もう日は傾いています。ひざしは柔らかく、夕暮れがゆっくりと押し迫ろうとしていました。
 カイは開け放たれた戸口から、外へ出て行きました。
 女将の心配は、カイにも分かります。日の光に、カイの肌は赤く火傷を負ってしまいます。全身を布で隠しても、安心はできません。また杖をつき、足を引きずるカイは、人目を引きます。銀の髪を染粉で黒くしても、白い肌を布で隠しても、カイは悪目立ちをする存在でした。
 宿場町の往来を歩く人々の視線が、幼いカイの身に突き刺さります。けれどカイにとって、西日とは言え、お日様の下を歩くことは楽しいことでした。ひとりでちょっとした冒険、――行商人の父を迎えに行くのみだけれども、をすることも。
 父の作ってくれた杖をついて、カイはひょこひょこと歩きます。カイと父は容姿のまったく似ていない親子でしたが、カイは父がとても好きでした。
 地面をつっつく小鳥、地蔵のそばで眠る猫。茶屋の店先で談笑する客たち、豆腐を売り歩く男、籠に乗る金持ちの娘。町は優しく、人々を包みます。けれど淡い光の中で、うずくまる影があります。道のはじ、そこにだけ誰も近寄りません。
 それは、こじきの男でした。
 黒い長い髪を垂らし、ぼろで全身を隠しています。わずかにのぞく肌の色は、黒。カイとは、間逆の色です。カイは吸い寄せられるように、男へと近づきました。

 行商人は、その日の仕事をはやくに終えて、早々に荷物をまとめました。
 あの村の近くかと思うと、心が落ちつかないのです。はやくこの町から出ようと思う反面、あの村の様子を見てみたいとも思います。
 とうとう行商人は誘惑に負けて、山の中へ分け入っていきました。二年前のあの夜、子供とともに逃げた道をたどっていきます。
 開けた場所に出て、谷を見下ろすと、眼下に見えるはずの村がありません。なんと村は土にのまれて、その土は緑に覆われて、人ひとりいる気配がありません。
 行商人は、立ちつくしました。そして、黒い肌の男が言ったことを思い出します。
「神の御子を失えば、村はほろぶ。俺はそれを見届けねばならぬ」
 そんなばかな、とそのとき行商人は思いました。いや、むしろ、ほろぶならほろんでしまえ、と。けれど、まさか本当にほろぶとは――!
 行商人は、はたと気づきます。
 カイ、俺の大切な子供。誰よりも清らかで、どれだけの傷を負っていようとも美しい少女。どろに沈んでも、茎を伸ばし花を咲かせる睡蓮のつぼみ。けっしてけがれない、しろがねの神の御子。
 この村がそばにあるのに、カイに一人で留守番をさせるなんて。
 悲しげな目をした黒い蛇が、少女の白い肌に巻きつくでしょう。男の髪は長く、影はもっと長く、きっと子供を捕らえるにちがいありません。彼らのきずなは、まだ消えていなかったのですから。

「おじさんは、誰だ?」
 カイの胸が騒ぎます。この黒い男を知っているような気がします。カイは男のそばに、ひざをつきました。
 男は顔を上げます。その瞳は漆黒。まるで死者のように瞳孔が開いて、カイは息をのみました。
「おじさんは目が見えないのか?」
 ぶしつけな質問でしたが、カイはたずねました。近づいてはいけないとも思うのに、男に話しかけたくてたまりません。
 男は静かに答えました。
「そうだ。罰を受けた」
「罰?」
 どのような罰でしょうか。けれど男は答えずに、聞き返してきました。
「嬢は足が悪いのか?」
 カイは驚きます。男は、実は目が見えているのでしょうか。
「見えるのか?」
 男は笑ったようでした。目もとがゆるんでいます。
「足を引きずる音がした、杖の音も」
「そうか」
 カイは納得します。
「嬢は、男言葉だな」
 男は、説教するでもなく言います。
「そうだ」
 カイはうなづきました。カイの言葉は、父の言葉そのままです。まだ幼いカイの世界には、行商人の父しか存在しません。
 男は懐をまさぐり、包みを取り出します。
「これを。足が痛むときは、湯に溶かしてのむといい。少しはやわらぐ」
「ありがとう」
 カイは受け取りました。包みを開くと、中にはいくつかの丸薬が入っていました。
「だが俺には、おじさんに差し上げるものがない」
 困っていると、男はまた笑いました。
「いいのだ。嬢の声が聞けたから」
「声?」
「嬢の声は、昔知っていた女の子の声に似ている。嬢のように優しい子だった」
 男の目は、今はもう失われたものを見ていました。いいえ、男のめしいた目には、失われたものしか映らないのでしょう。
「もう二度と聞けない声が聞けた。ありがとう」
 男は、黒い顔を伏せました。何かが胸にせまってきて、カイは男に身を寄せようとしました、そのとき。
「カイ!」
 大きな声がしました。驚いたように、男が顔を上げます。カイもまた、振り返りました。
「父さん」
 父は今までカイが見たことのない形相で、駆け寄ってきました。カイが立ち上がろうとした刹那、思いがけない力で男がカイの腕をつかみます。
「痛っ!」
 カイの声に、男の手が離れます。
 カイの目と、男の見えないはずの目が合いました。カイは男の、万感をこらえるような表情を見ました。離れた指先から、――離れているにも関わらず、激しく切ないものが流れこんできます。思いの奔流に、カイは圧倒されました。
 父は、カイを男から離すようにして抱き上げました。その拍子に、カイの手にしていた杖が落ちて、男の体を打ちます。男は杖を拾い上げて、父に差し出しました。父は乱暴にひったくると、礼さえ言わずに、カイを抱いたままできびすを返します。
 父の肩越しに、カイは見ました。男が深く頭を垂れて、手をついているのを。ありがとうと言っているのか、悲しみに泣いているのか。
 男の姿に、カイは胸をうたれました。あの黒い男は、おそらくカイのことを知っているのです。そしてカイと呼ばれたとき、男はまるで自身が呼ばれたかのように、顔を上げました。
「あの人の名は、カイというのか」
 なぜカイと男は、同じ名を持っているのでしょう。父は答えません。ただ足ばやに宿へ戻ろうとするだけです。
「おまえは、俺の子供だ」
 父はとても大事そうに、カイを抱きます。
「おまえはしろがね。――俺の宝なんだ」
「どうしたのだ、父さん? 俺も父さんが大好きだぞ」
 父はとても苦しそうですが、カイには理由が分かりません。ただ、父の悲しみだけが伝わります。
「もう下ろしてくれ、……仕事で疲れているだろう? 俺はちゃんと歩ける」
 父は黙って、カイを地面に下ろしました。そのときカイは、ずきりとした痛みを腹に感じます。男に腕をつかまれたときの痛み。今まで自分を覆っていた、――いや、覆い隠していた殻が割れた痛み。
 倒れようとするカイを、父は支えます。足の付け根を流れる血を感じ、カイはぞくりとしました。
 ああ、花開く。
 めまいの中で、カイは見ました。汚泥の中に、白く輝く睡蓮が咲き誇ろうとするのを。やみの中にあって、やみに染まらぬしろがねの強さを。
 あの黒い男とカイは、二度と会うことがないでしょう。カイの薄紅の瞳から、涙が一筋だけ流れました。さようなら、さようならとこぼれ落ちます。少女の皮を脱ぎ捨てて、カイは美しく生まれ変わります。蝶のように軽やかに風にのって、生まれ故郷を離れていくのです。
 カイは二度と、父も二度と、黒い男のことは口にしませんでした。そしていつしか、カイの言葉づかいは女性らしいものになり、白い指先は憂いを帯びます。カイは、におい立つような、たおやかな娘へと変わっていきました。
 旅暮らしの空の下、父は一層カイを慈しみ、カイもまた変わらず父を慕うのでした。

この小説は、Twitter上の企画において、あんのーんさんの小説「しろがね」を、あんのーんさんの許可を得てリライトしたものです。

文責:宣芳まゆり

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